園児の背中たたき、怒鳴る外国人講師が暴行 元同僚がSNSで告発 北九州の保育所、市が指導

西日本新聞 5/15(水) 9:10配信

また嫌なことが起きてますね。
園児・・・しかも2歳の子どもに対して、体罰や暴行などもっての外です。
またその状況を施設が十分に把握できていなかったという管理不足も問題でしょう。

そしてこの施設で起きたことは、ひょっとしたら他の場所でも似たようなことが起きているのかもしれません。
教育現場から暴力やら暴言が早くなくなって欲しいと切に願います。

ただ今回のことで気になることは、「元同僚がSNSで告発」という点です。

問題を起こした外国人講師の日常的な暴力行為を、他の外国人講師が動画撮影しており、それがSNSに投稿されたことで、市民に知られることになったわけです。
この動画を撮影し、SNSに投稿した元同僚の外国人講師は、そのことを施設に相談したが、対応してくれなかったということでした。
それならばということで、意図的に知らせる行為としてSNSに投稿したということになるのでしょう。

4月に市民からの通報があったようですが、調査の結果、問題はなかったということで施設側は否定しています。
しかし動画が流出したことで、暴力行為が確定的に扱われるようになったのです。

SNSに投稿」することの意味

さて、今回のような顛末の中で、SNSに投稿するという行為は果たして正しかったのでしょうか?

もちろん動画により問題が発覚したのですから、この点では「動画投稿のおかげ」ということにはなるかもしれません。
本質的なことを言えば、暴力行為について施設側に相談した際に、然るべき対応を取れていなかったことが大きな問題です。
施設側がこの時に徹底的な調査と、暴力行為を防ぐ対策を取っていれば、ここまで問題になることはなかったでしょう。
最終的には動画(証拠)を撮影し、SNSを利用して部外に知らせるしかなかったのかもしれませんが、もっとスタッフも含めた施設全体でなんとかして欲しかったですね。

というのも、SNSが安易に告発の場になるというのは、個人的には健全とは思えないのです。

状況を知らない不特定多数の人に知らせることのリスク

特に事件性がある問題については、冷静かつ客観的な判断が必要であると思うし、その判断材料が曖昧なまま、状況を知らない人たちに何らかの判断と行動させることは少し怖いと感じました。

だってTwitterYahoo!ニュースのコメントなんか見てても、受け取り方も考え方も様々だし、言葉づかいやマナーの点でも決していいイメージはありません。

それこそ暴力的な発想や発言も目にするくらいですから。

ただ今回は動画というほぼ決定的な材料だったので、不用意に話が広がることもないかもしれませんけどね。ただSNSがマジョリティのものになった現在においては、SNSの運用については慎重であることに超したことはないですね。

SNSが「何でもありの場」だと認識されるリスク

そしてSNSに投稿することで告発できるということが、当たり前になってしまうのは少し怖い気がします。

もちろんSNSが自浄作用を促しているとも思えるので、決して悪いことだとは思いません。
しかし思い込みや言いがかりなど、根拠がないまま「無責任な告発」になってしまうこともあるかもしれません。

個人が参加するSNSは「いいたいことは何でもあり」という認識になっていくのは嫌ですよね。

情報の質が担保されないまま、事の真偽が分からないまま情報だけが拡散されていくことに不安を感じるのは僕だけでしょうか。

スマホは監視カメラ、SNSは告発の場、という時代

現代は通信技術や操作端末の技術が向上し、現時点で最高峰といえるスマホとSNSというのは、これから先の未来を切り開いていく重要なツールだと言えます。
それを利用するユーザーはツールを使いこなすうちに新たな考え方や手法、そして常識を塗り替えていくのです。
そういう意味においては、スマホやSNSの使われ方については、常に追いかける必要性を感じます。

今回の件でいえば、スマホは監視カメラであり、SNSは告発の場だったわけですが、スマホが「監視カメラ」として使われることは注意すべき点だと思います。
動画や写真に撮られる側も、「いつ誰に撮られているか分からない」という意識をもたなければなりません。

そしてSNSは、だれもが自由に情報提供ができる場ですから、そこで飛び交う情報が、時に告発の材料として流通することがある・・・

この流れは止めようがないのかもしれませんね。

この「常に見られている」「誰に知られるか分からない」という意識は、雰囲気的には怖いものがありますが、それで実社会における問題行動があぶり出され、解決へと向かうきっかけになるのであれば、それもありかと。

しかし本質的には、問題行動は起こさないことはもちろんのこと、無責任なSNSの世界に頼らずとも対応できる社会人としての「誠意」が求められているのかもしれません。