私がSNSに感じたこと

私がSNSを利用しだしたのは、かれこれ十数年前。
最初がmixi2006年頃。
そしてTwitterFacebookを利用しだしたのも10年くらい前になります。
今人気のInstagramも最初の投稿は2012年でしたので、7年は経過しています。

私はSNS上で情報発信を割と頻繁に行っていましたが、その当時はインターネットの登場以上の衝撃を受けたことを記憶しています。

個人的に画期的だったのは、それまでのインターネットが情報の蓄積である事に対して、SNSは静的だった情報を動的に流通させる攪拌機になったことでした。
つまり百科事典を開かないと見つけることができない情報を、引き出していろんな人に広く伝える司書的役割(キュレーター)をSNSが果たしてくれているということです。

この情報の撹拌は、既存の静的情報だけで無く、SNSを利用するユーザーの思想や感情に至るまで、様々な角度の情報を巻き上げながら広がっていきました。

私が最初にFacebookを始めた2010年頃は、日本でのユーザー数は100万人以下で、身の回りにはほとんどいませんでした。
それ故にアメリカ人を中心とした外国人と友だちになる機会が結構多かったのです。

当時イギリス人のあるユーザーと友だちになり、たまたま同じイギリスのバンドが好きだったという共通点から、交流が増えたことを覚えています。
英語は正直得意ではありませんが、伝えたい思いが強いと、なんとか伝わるものだと感じたこともありました。

私にとってSNSというのは、現在の自分と、まだ見ぬ世界とを繋げる夢のチャンスだったのです。

日本でのSNS普及と、その評価

日本でもスマホユーザーが増え、SNSが広く定着してきました。
特に日本でのSNSは、身の回りの友だちと情報共有するだけという、非常にコンパクトでクローズドな利用方法が中心でした。

急速なSNSの普及は、若者を中心に人々のコミュニケーションに大きな変化を与えつつあります。
その中でも、いじめや差別など負のコミュニケーションへの心配が注目され、メディア教育といえば「トラブル回避」のみが採り上げられているほどです。

トラブルの怖さを訴えるだけで、正しい使い方を指導していないからこそ、若者のトラブルが起きるわけで、これは子どもの責任というより、我々大人の責任でもあります。

今後インターネットが消滅することはないと思いますし、これからの社会活動は、よりインターネットの寄り添ったものとなるでしょうから、SNSへの向き合い方への指導は目を背けることはできません。

さて、客観的に見て、現在のSNSはどのような評価なのでしょうか。
私も過去の講演でSNSに関する様々な角度のお話をしてきたつもりですが、

SNSはいいことも悪いこともあるから、気を付けて使おうね」

という程度で、

「やっぱSNS最高だよね!」

という雰囲気には至っていないと思います。
(いや、そうなって欲しくないのかも・・・)

デメリットばかりを教え、怯えさせるだけの指導は、これからの広報モラル指導としては不適格だと思いますし、そのことは前回の記事でも書きました。

前回記事:事前アンケートから見えてくる、子どもたちの傾向

少なくとも今後の生徒向けの講演には、僕がこの10数年で体験した「SNSの醍醐味」というものを、一例として伝えたいなぁと思っています。

例えば今回フランスを訪れるにあたって友だちとなったフランス人のことや、言葉は通じなくても、価値観や思いの共有ができることなどたくさんあります。
まずはSNSという仕組みが、なんのために存在し、どのように利用されることが素晴らしいのかを知る必要があると思います。
SNSの存在価値を理解し、その良さを発揮するための注意事項として、情報モラルが存在すべきだと考えます。

・・・理想論かもしれませんが、他に方法もないと思います。

次回は、私が先日のフランスで出会い、交流した友人たちについてご紹介したいと思います。