昨今、SNSを中心に「ネット私刑」と呼ばれるが問題になっています。
ネット私刑とは、某かの騒動を起こした特定の人間や企業を名指しし、インターネット上で糾弾する行為です。

問題が起きれば当然問題を起こした側がお叱りを受けることになりますが、ネット私刑においてはその過激さは限度を超えています。

ネット私刑の問題を象徴するトラブルが報道されています。

「ニュース見てないんか」「息子やろが」 東名追突死亡事故、デマ拡散で無関係企業に嫌がらせ 暴走する“ネット私刑”の恐ろしさ
10/18(水) 10:03配信

芸能人の不倫、政治家の暴言、先生への暴力、あおり運転など、いけないことはいけません。
ですがそれに対し過剰なまでに第三者である一般人がネットで叩きまくるのは異常としか思えません。
先日福岡の高校で起きた教師への暴行事件においても、流出した動画から暴力を働いた学生および家族の個人情報が晒され、一気にネット上に広がることが起きていますが、これも行き過ぎた追求や断罪行為が、罪を犯した生徒の反省や立ち直りの機会を踏みにじっています。
 
ましてや間違い、思い込みで関係の無い人や企業に迷惑をかける行為などあってはならないことです。
こういうネット私刑と呼ばれる風潮の根本解決はなかなか難しいと思います。
ネット投稿の仕組みを変えたり、法的規制をかけることである程度押さえることはできるかもしれませんが、匿名のネットという隠れ蓑を持ち、攻撃性が強く、発言の影響を想定できない人たちがいる限りは、ネット私刑という行為は亡くならないかもしれません。
私が心配なのは、そうしたネット私刑の風潮が子ども達にどのように伝わるのかということです。
悪いことをした人を完膚なきまでにネットで叩く様子を、子ども達はどういう目で見るのでしょうか?
「ネット私刑は当たり前」という認識を持った子ども達が大人になったとき、彼ら自身がネット私刑に参加するような人間になってしまうのかもしれません。
ネット私刑に限りませんが、インターネット上で見せる発言や行動の影響力を、今一度大人が再考するべきだと思います。
特にインターネットであれば、いつまでもログが残るし、それらを含め一部始終を子ども達は見ています。
SNSでも過激で行き過ぎた議論は散見されますし、大人がそんな手本を見せていては、子ども達に示しがつきません。
これからの情報過密社会を生き抜いていく子ども達には、早い段階からの情報モラル指導が必要です。
そのためにもこうしたネット私刑を「劇場化」してはいけないと思います。