【衝撃事件の核心】東大卒エリート美女が自殺までに綴った「苦悶の叫び」50通 電通の壮絶「鬼十則」が背景か

この事件は子を持つ親としても残念で腹立たしく思います。
私も広告のお仕事を生業としており、電通のレベルまでは行かないまでも、自分の家族やプライベートを犠牲にし、自分の20代30代の相当な時間を仕事に費やしました。

それを僕は収入で折り合いをつけていたし、なによりクライアントのためには全力を尽くすという気持ちとポリシーが支えてくれたように思えます。
今の僕なら辛いことがあっても対応できますが、東大卒とはいえ、まだ社会に出て間もない若者であれば、辛さを何かに変換する発想も経験も少ないでしょうから、本当にきつかったでしょうね。
この記事にもあるように、彼女は命を絶つ前に、ツイッターやLINE等で”誰か”に辛い気持ちを伝えています・・・つまりSOSを発信していたのです。

しかし彼女が命を絶ってしまった以上、このSOSは役に立たなかったということになります。
彼女はSNSに辛い思いを表現し、メッセージを発信したことで救われていたのでしょうか?

さらにSNSで繋がってた人達は、どれだけそのメッセージの深刻さを理解し、具体的な行動にでたのでしょうかね?
僕が若い頃はインターネットも携帯電話もない時代。仕事上での辛いキツいは会社の同僚や友人に相談していました。

携帯電話やネットが普及し、メール、掲示板というコミュニケーションツールが登場しましたが、それでも辛い相談は”リアルなコミュニケーション”でなければ解決できませんでした。
SNSがコミュニケーションの基本となりつつある現在、果たしてSNSというのは人の思いをしっかり伝える媒体としてなりたっているのでしょうか。

よくFacebookでの繋がりでコミュニケーションが広がるとか、絆が深まるとかいわれますが、本当にそうでしょうか。
LINEの登場で、人々のコミュニケーションの質が劣化しているといえます。

LINEでは「なにを伝えるか」よりも「会話のテンポ」が重要視されます。

言葉はどんどん省略化され、文字どころかスタンプという”言葉以下”の表現が多用される状況ではコミュニケーションの劣化は当然のことかもしれません。
今回自殺してしまった女性が、SNSで”誰か”に伝えたメッセージの深刻さと、それをそこまで深刻に受け止めていない、そしてなにも具体的な行動で手を差し伸べなかった周囲の人たちの温度差・・・それはSNSの無責任さであり、コミュニケーションの劣化を象徴しているのではないかと思います。
火災報知器が鳴っても「故障でしょ?」と避難しない人が多いという現状を思えば、日本は平和ボケだし、「私に関係のないことは、大したことではない」という「自分だけ文化」が定着しているのかもしれません。
情報流通が手軽になり、メッセージを読み取る力の劣化が進むSNS時代。

今回の事件は単に「過酷な労働環境」ということだけを論点にするのではなく、もっと周りが彼女を救えなかったのか、という「人間の支え合い」についても議論していただきたいと思います。
返すがえす彼女のSOSが見えていたというのに残念・・・・

口だけの「絆」や「繋がり」なら不要です。